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聖奈物語⑥インストラクターの道へ!?

聖奈物語も終盤となってきました!

今日は第6弾です!

私は今、インストラクターとして働いていますが、育休中の会社員がどうしてインストラクターになろうと思ったのか!?

そんなストーリーをお話させていただきます😊

次女が6ヶ月の頃、私の核を揺るがす大きな出来事が起きます。

それが

父方の祖父が亡くなったのです。

数日前まで元気で、ひ孫である娘たちとも、遊んでくれていたんですが、

亡くなる前日に畑仕事をした後に、熱中症になったのか、熱が出てしまったようでした。

そして85歳の身体にはそこから回復する力が残っていなかったのか、そのまま逝ってしまったのです。

この祖父の死、何が特別だったかというと、4人いた祖父母の中で

【唯一、生涯倒れずに健康な心身で生き抜いた人】

だったんですね。

聖奈物語の【幼少期〜小学生編】にも書きましたが、

父方の祖母、母方の祖父母は3人とも60代で倒れて、その後の人生は障害を負いながら楽しみきれずに生きていました。
(医療によって生かされていました)

そのため

・人は60代になると病気になって倒れる
という固定観念が私の中にずっとあったんですよね。

でも、この祖父だけは、大病になることなく、死ぬ前日まで自分の足で立ち、自分の好きな畑仕事をし続けて人生を全うしたんです。

その事実に気づいた時、私の固定観念がガラガラっと崩れ落ち、人生観が大きく変わりました。

私も祖父のように
【死ぬその日まで、人生を楽しみきりたい‼️】
生涯の目標が出来た瞬間です。

この思いは今でも揺るがずに私の核として存在しています。人生で最大の気付きで転機でした。

人生を楽しみ切るためには健康的な心身が不可欠だ!ということで、

そこからの私の人生は、小学生の頃に初めて感じた疑問

・なんで病気になるんだろう?
・病気にならないといいのに!

と健康について考え続ける日々をおくりました。

食事を整えてみたり、知識を得るために本を読んでみたり実践をしていたのですが、

そんな時にSNSでたまたま見た【ピラティス】の文字を発見したんです。

最初は始めて見る文字に、何だろう?と興味を引かれたのですが、調べていくうちにピラティスは、インナーマッスルを刺激して体を動かす運動であることが分かり、

身体の土台となる骨や筋肉を使って体を動かすのっていいかも✨️と思いました。

当時は産後太りの身体を引き締めたいとも思っていましたし、育児中にぎっくり腰にも3度ほどなっていたので、

何か変わればいいなと思い、パーソナルの体験レッスンを予約しました。

初めてのピラティス体験は、とても繊細で細かな動きを求められたのを今でも覚えています。

バレーや陸上では、大きな筋肉を使って身体を大きく動かす事がメインでしたが

ピラティスはその逆で

小さい筋肉をコントロールしながら、地味な動きが多く、今までにやったことの無い動きばかり!

頭で考えながら身体を動かし、コントロールすることが初めてだったので、脳も疲れました🧠

それでも不思議と姿勢は整い、腰痛もしなくなったんですよね!

これは変われるかもしれない!と思い即入会して、私のピラティスライフがスタートしました。

週1のレッスンが楽しくて、身体もどんどん絞られていき、腰痛などの不調も皆無になったことで、

ピラティスを続けていれば【人生を楽しみきれる】のでは!?と、更にピラティスにのめり込んでいきました。

そして、ピラティスを始めて半年経った頃、ある気付きがあったんです。

ピラティスを教えてくれるインストラクターの方たちには、

『ありがとう』
『身体がスッキリした』
『こういう変化があった』

など、前向きでプラスの言葉が沢山集まっているなぁと。

私が働いてきた職場ではクレーム対応が当たり前で、常に人から負の感情をぶつけられる環境でした。

そんな職場で働いてきたからこそ、

通っていたスタジオは

・健康的に生きたい人が集まり
・プラス思考の人が集まり
・暖かく前向きな言葉で満たされている

素敵な環境だなぁと気づけたんですよね。

そんな気付きがあったことで

【私もこんな環境で働きたい!】
【健康を軸に仕事をしたい!】

と脱サラして、ピラティスインストラクターになることに決めました!

決めたら居てもたってもいられず、見切り発車で動いてしまうのが私なんですがw

・インストラクターになると決めたのは2021年、子どもが3歳、1歳の頃

・取りたい資格のためには、熊本から大阪まで通う必要あり

・当時はコロナ禍真っ只中で、不要不急の外出を控えるような世の中

・熊本↔大阪の往復6回の宿交通費に養成費(数百万円)

と、行かない理由はいくらでもありました。

実際、幼い子どもを残してコロナ禍の中、大金払って行こうとする私を、周りは相当クレイジーだと言い、かなり引き止められましたが、

主人だけは
『うん、いいよ〜!がんばって〜』
と二つ返事でOKを出してくれたんです。

さらに義父母も
『子どもが小さいうちしか自由に動けないから、今のうちよ!子どもは預かるから!』と心強い言葉と共に背中を押してくれました。

本当に有り難かったですし、今でも思い出すと涙が出るほど、私の中では感謝する出来事です。

本気でやりたいと思えば、理解者があらわれ、突破口が開けてくるという現象を初めてこの時に経験しました。

そこからは清水の舞台から飛び降りる覚悟で、

週末は飛行機で大阪へ通い、養成コース
平日は熊本で子育て・家事・資格勉強

という日々がスタートしました。

資格を取るために、骨や筋肉の解剖学を0から学び、300種類ほどエクササイズを頭に叩き込み、実践練習も何百時間もする。

家事育児はそこそこに、それ以外をピラティス資格取得に全振りする生活を半年間続けました。
(新卒での地獄の研修を思い出しましたw人生で1番勉強しました)

そうしてようやく2022年2月

資格試験に合格し👏🏻私のインストラクターLifeが始まったのです!

_______

この祖父の死→ピラティスとの出会い→インストラクターへの挑戦は、私の人生でもかなり大きな挑戦でした。

今まで夢もなく何となく周りに流されて生きてきた私が、初めて自分から【やりたい!挑戦したい!】と思えた出来事でした。

その考えに至るまでも

このまま会社員やってていいのか?
自分の本当にやりたいことは何だ?

と自問自答を何度も繰り返しましたし、

職場でのキャリアも捨て
かなり大きなお金を遣い

辞めとけ!とアドバイスくれた人とは自然と疎遠になった人も数人います。

大きな壁がいくつもあり、諦めた方がいいのかなと何度も思いました。

でもその壁を乗り越え、痛みがあったからこそ、絶対にインストラクターになってやる!と燃えられたのも事実です。

________

私は【人生を楽しみきりたい‼️】という気持ちに気づいたから、今があると思っています。

一度きりの人生を楽しみきりたいから

・クレーム対応をする嫌な仕事を辞める
・健康に携わる好きな仕事をする
・人生の最後をベッドで過ごしたくない
・健康で居続けられるための選択をする
・エネルギーの高い場に居たい
・気の合う仲間と過ごしたい

ここ数年の、私の行動の指針は全て、人生を楽しみきりたいがベースになっています。

そして、私は今これを読んで下さってる皆さまにもぜひ【自分の人生を楽しみきって欲しい】と心から思っています。

その手段として今は、レッスンやレッスン中の対話を通して人生を楽しみきる術をお伝えしている訳ですが、

実際に、レッスン中のコミュニケーションから、自分の中の熱に気付き、

「先生、わたし海外に行くわ!」と言って、ワーキングホリデーに行った人も居ますし、

「先生みたいなインストラクターになりたい!」と50代でピラティスの資格を取った人も居るんですよね^^

私もそんなふうに、人生を楽しんでいる人を見ているとワクワクしますし、

そんな生き方を伝えていくのが私のお役目だと思い日々仕事や発信をしている所です。

みなさんも退屈を脱却して、人生をもっと楽しく生きてみませんかー!!?🤭

今日のこの聖奈物語が
何かのヒントやお役にたてればと思っています^^

ご感想や質問など、お気軽に!
ささいな事でも聞いていただけると飛んで喜びます😆笑

そして!

次回はなんと最終回になります!!

【独立・迷走→現在】

インストラクターになった後は?
いきなり独立したの?
最終回だけど、まだ迷走してるの!?

詳しく書いていきます!w

現在までのストーリーの最終章です!

そして、ビッグなお知らせも一緒に配信しますので要チェックです!
お楽しみに!

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